SaitoTamotsu斉藤保について
-
どうしてあなたはそんなに自由なんですか?
-
これは小学生の頃からなんですが、通知表で「人の話を聞かない」「落ち着きがない」と書かれておりました。
そのまま大人になりまして、とにかく同じことを繰り返す、型にはまったことよりは、移動したり、色々なところに行ったり毎日違うことがしたいというタイプです。
-
そんなに自由だと挫折もあったのではないですか?
-
結構強いので挫折することはなかったのですが、失敗はたくさんありました。
人を巻き込んで失敗した、迷惑をかけたということが一番の失敗でした。
-
それはどんな失敗ですか?
-
2008年、信州でおいしいお蕎麦屋さんを紹介してもらい、「息子に店を譲ったので大阪で蕎麦屋をやりたい」という親父さんと意気投合し、蕎麦好きを集めて「そばファンド」を作って、会社を作って堺筋本町でオープンしました。
オープンして3日間、ビラ撒きをしたこともありたくさんお客さんがやって来てくれました。昼も夜もオープンし良い感じでスタートできたと思っていたところ、4日目にビラを配り、店に帰ってきたところ鍵が閉まっていて親父がいない。電話をしても出ない。中に入ったところ金庫、通帳何もない。親父のアパートに行ったらもぬけの殻。3日坊主で4日目に逃げられた、ということがありました。
翌日から親父さんの息子さんからお蕎麦をクール宅急便で送ってもらい営業を続けましたがコストが合わずクローズに。大失敗、大赤字になりました。
最後の最後にお店を現状復帰しないといけないがお金がないということなり、200人に電話。「居抜きで店を買ってくれないか」と相談し、何とか焼鳥屋さんのチェーン店の人に買ってもらえることに。それで何とか迷惑を掛けたみんなに少しでもお返しすることができました。
-
笑える失敗はありますか?
-
初めて商売をしようとしたときの頃です。脱サラ=ラーメン屋と考えていました。
大阪で屋台をやっても面白くないなと思い、一番物価が高くて、食事がまずいところを探して見つけました。
スイスのチューリッヒです。
チューリッヒの日本食材店でアルバイトをしたことがあったので、そこの親父さんに相談すると「お!やろうか」ということになりました。
たまたま日本祭りがあったので、そこでラーメンの屋台を出すことに。
ちょうどスーパーの駐車場の向かいに野村證券会社のチューリッヒ支店があり、みんなに来ていただけることになりとても盛り上がりました。
良い感じだなとスタートしたのですが、どんどん日本人は食てくれる、しかしどんどんどんどんスイス人が来なくなった。
どうしてかな、と不思議に思い2か月くらいが経ったころ「みんなが怒っている」という噂が。
みんなうちのラーメンが熱すぎてやけどしたから来ない....
ヨーロッパの方は熱いものが苦手、ということを知らなかったのです。
マーケティングということを思い知りました。
地域の特性、好みを分からずに思い込みだけで商売すると失敗するということでした。
その時に思ったのは「絶対次は寿司でやろう!」と2001年のフランスのレストランに繋がっていきます。
-
そのレストランは上手くいったのですか?
-
これは成功しすぎました。
JTBさんや阪急さんなど色々な旅行会社のツアーのランチへの組み込みをお願いしました。
そこで予約を取りすぎたという話です。
ある日、1軒のお店でオーダーが何とバス25台ランチに来るということに。
お店のものに絶対無理ですと怒られまして、何とかしなきゃいけない、どうすれば良いか考えました。
そこで気付いたのが近くのホテルでは朝食と夕食しかやっていない。
ホテルのオーナーに相談すると、困っているならしょうがないということで貸してくれることに。
使用料を払い、ドリンク代をホテルの利益にしてもらい場所を貸してもらえることになり事なきを得ました。